軽井沢旅行におすすめ|
軽井沢の文学館・美術館めぐり|
文化人の足跡を訪ねる旅

軽井沢旅行におすすめ|軽井沢の文学館・美術館めぐり|文化人の足跡を訪ねる旅

軽井沢には、四季折々の自然に寄り添いながら、静かに文化を育んできた人々の足跡が残されています。
彼らが愛した空間を訪ね、作品に触れ、建築や風景に包まれることで、軽井沢の文化の深みを味わってみてはいかがでしょうか。

昭和を代表する文豪
堀辰雄文学記念館

堀辰雄文学記念館

静かな森の中に佇む、堀辰雄文学記念館には、昭和を代表する文豪、堀辰雄(ほり たつお)が晩年を過ごし、そしてこの地で静かに生涯を閉じた旧居が、今もそのまま保存されています。

堀辰雄文学記念館_入口
堀辰雄文学記念館_展示

館内に足を踏み入れると、彼の代表作『菜穂子』に描かれた風景が、窓の外の緑と重なり、文学と自然が溶け合った世界が広がっています。また、この追分の地で執筆された代表作『風立ちぬ』は、病に苦しむ恋人との静かな時間を描いた作品で、堀自身の体験が色濃く反映されています。

展示されている直筆原稿や愛用品からは、彼の繊細な感性と、言葉に込めた思いが静かに伝わってきます。軽井沢の自然と調和した建物は、訪れる人々に穏やかな時間を提供し、文学と風景が融合する特別な体験を味わえます。

四季折々の風情を感じながら、堀辰雄の感性に触れることができるこの記念館は、文学ファンはもちろん、静かな時間を求める方にもおすすめのスポットです。

堀辰雄文学記念館_展示
堀辰雄文学記念館_堀辰雄

おすすめPOINT!

この記念館の最大の魅力は、堀辰雄が実際に暮らした家屋をそのまま保存していることです。

堀辰雄文学記念館_展示

木造平屋の建物は、深い庇(ひさし)と広い縁側が特徴で、軽井沢の湿潤な気候に配慮した設計が施されています。書斎や居間などの生活空間が再現されており、まるで堀辰雄の息遣いが聞こえてくるような臨場感があります。彼はこの家で、妻の多恵さんと静かな日々を過ごし、病と向き合いながら創作に励みました。

晩年は、この家で亡くなり、多恵さんはその後、堀の作品とこの建物を守るために尽力しました。彼女の思いがこの記念館の空気に宿っているようで、文学と人生、そして夫婦の絆が静かに語りかけてくるようでした。

さらに詳しく!

記念館には、堀辰雄の直筆原稿や写真、愛用品が丁寧に展示されており、彼の創作の背景や人生を深く知ることができます。特に印象的だったのは、文化人の友人たちとの交流の記録です。室生犀星、川端康成、中村真一郎など、同時代の文学者たちがこの家を訪れ、縁側で語り合ったというエピソードが残されています。

堀辰雄文学記念館_展示
堀辰雄文学記念館_入口

学芸員の東﨑さんにお聴きすると
「堀辰雄文学記念館は、堀辰雄の文学の足跡を後世に伝えるため、軽井沢町が運営している施設です。建物は、堀辰雄の妻・多恵夫人から寄贈された旧居を活用しており、彼が晩年を過ごした空間そのものが記念館となっています。

館内では、川端康成や萩原朔太郎など、堀辰雄と親交のあった文化人との手紙のやり取りを見ることができます。気さくでときにユニークな文面からは、堀辰雄が多くの友人に愛されていた理由が自然と伝わってきます。

実際に堀辰雄が暮らしていた住居には、彼自身が設計した机と椅子が置かれ、和室には細部にまで美意識が宿っています。また、別棟の書庫は、堀が完成を心待ちにしていたもので特に印象的だと思います。書棚に並べる本の順番まで決めていたほどのこだわりで、亡くなる10日ほど前に病床からその完成を見届けました。堀の蔵書への深い愛情が、今もこの場所に息づいています」。

また、庭には季節ごとに表情を変える緑が広がり、文学的感性を刺激します。

学芸員の東﨑さんからは
「文学に関心のある方はもちろんですが、それ以外の方も、この場所自体を楽しむために、気軽な気持ちで、ふらりと訪れてみていただければと思います。梅雨の時期の苔、夏の涼やかな芝生、秋の紅葉、雪景色と、四季を通じて美しく、リピートされる方もたくさんいらっしゃいます」とのこと。

堀辰雄が愛した軽井沢の自然と、彼の文学が見事に調和したこの空間は、静かに感性を磨きたい旅として、ぜひ立ち寄りたい場所です。堀辰雄の文学に触れながら、軽井沢の自然と文化を満喫できる記念館で、知的な旅のひとときを演出してくれることでしょう。

堀辰雄文学記念館
堀辰雄文学記念館

住所:長野県北佐久郡軽井沢町大字追分662

開館時間:9:00A.M.~5:00P.M. (入館は4:30P.M.まで)

休館日:水曜(7/15~10/31は無休)、12/28~1/4

TEL:0267-45-2050

アクセス:
信濃追分駅(JRしなの鉄道)から徒歩約30分

静謐で豊かな空間
脇田美術館

脇田美術館_外観

『脇田美術館』は、洋画家の脇田和(わきた かず)の人生と芸術、そして建築家である吉村順三(よしむら じゅんぞう)の美意識が融合した、静謐で豊かな空間です。

脇田美術館_展示

旧軽井沢の緑に包まれた小道を歩いていくと、静かに佇む脇田美術館が現れます。館内に足を踏み入れると、柔らかな自然光に包まれた空間に、洋画家の脇田和の作品が静かに並んでいます。

脇田美術館_外観

脇田和は1908年東京生まれ。ベルリン国立美術学校で学び、帰国後は、猪熊弦一郎らと新制作派協会を創設し、戦後は東京藝術大学で教鞭をとりました。鳥や植物をモチーフにした詩的な作品で知られ、自然への深いまなざしが画面に宿っています。

もともと軽井沢には彼が自宅兼アトリエとして暮らした「山荘」と呼んでいた別荘があり、晩年はその敷地に、別荘を取り囲むように美術館を建て増ししました。作品とともに、彼の人生そのものが息づく空間で、静かなひとときを過ごすことができます。


おすすめPOINT!

脇田美術館の魅力は、展示作品の美しさだけでなく、建物そのものが芸術的であることです。美術館の中ほどにある「山荘」は、もともとは脇田和の住居として建てられたもので、設計を手がけたのは建築家の吉村順三でした。

脇田美術館_展示

吉村順三は、日本のモダニズム建築を代表する人物で、「奈良国立博物館新館」「皇居新宮殿の基本設計」「八ヶ岳高原音楽堂」などを設計したことで知られています。東京美術学校(現、東京藝術大学)で建築を学び、卒業後は、日本の近代建築に多大な影響を与えたアントニン・レーモンドに師事しました。

吉村順三は、東京藝術大学の教授としても活躍しており、脇田和も同大学で教鞭をとっていたことから、教育者としての接点もありました。脇田氏が軽井沢に建てたアトリエ兼住居の設計を吉村氏に依頼したのは、彼の建築哲学に深く共感していたからとも言われています。自然との調和を重んじる吉村の設計は、脇田の芸術観と見事に響き合い、静謐で詩的な空間を生み出しました。

脇田山荘は、鉄筋コンクリート造の1階と木造の2階からなる混構造で、湿気の多い軽井沢の気候に配慮した設計が施されています。自然光が差し込む静かな空間は、作品と対話するような感覚に包まれ、建築と芸術が見事に調和した場所です。

脇田和と吉村順三は友人でもあり、別荘の設計を依頼するにあたり「四季を通じて制作活動をしたい」ことと「庭に池を造り、絵のモチーフとなる動植物を観察したい」以外には特に要望を出さなかったそうです。湿地のため、池はつくらず芝生の庭になりました。また、カーペットとソファーの色は脇田和が選んだ色が用いられました。

山荘は以前、一般には公開されていませんでしたが、会期中に「建築ワークショップ」として講師を招いた勉強会を開催するようになりました。また、年に2〜3回、予約制で一般公開も行っています。

さらに詳しく!

館内には、脇田和の油彩、水彩、版画など多彩な作品が展示されており、彼の画業の変遷をたどることができます。特に印象的だったのは、鳥を描いた連作です。どの作品にも、静けさと躍動感が同居していて、見ているうちに気持ちが穏やかになっていくような心地よさを感じます。

脇田美術館_展示

脇田美術館の開館当初からスタッフとして携わっていらっしゃる篠原さんにお聴きすると、「山荘の設計を手がけた吉村順三さんは、古くから和先生(かずせんせい)と親しい関係でした。和先生と奥様がとても仲の良いご夫婦でしたので、アトリエと居間の位置関係にもそのような配慮がなされ、いつでも目が合うような設計が施されています。 また、山荘を囲むように作られた美術館については、『自分の絵に洋服を着せたい』、『訪れた方に、ご自分の居間にいるような雰囲気で鑑賞していただきたい』、『自然光の下で、絵をご覧いただきたい』——そんな想いから、和先生とご子息が美術館を作られました」

「和先生は、穏やかで優しい人柄で、多くのファンに長く愛されてきました。美術館の開館以来、「ほかの方の作品を傷つけてしまうかもしれない」という和先生の繊細な想いから、これまで展示はご本人の作品に限られていました。しかし2025年からは、新たな試みとして、次世代を担う若手アーティストの育成と応援を目的とした展覧会を企画し、和先生の精神を受け継ぎながら、未来の芸術文化を育む場として歩みを進めています。

美術館に一歩足を踏み入れた瞬間、自然光に包まれながら、誰からも親しまれる作品の魅力をきっと感じていただけることでしょう。心安らぐひとときを、ぜひ、この空間でお過ごしください。皆さまのお越しを心よりお待ちしております」。

自然と芸術が共鳴する空間、静かに感性を磨きたい旅にふさわしい脇田美術館に訪れてみてはいかがでしょうか。

脇田美術館_外観
脇田美術館(Wakita Museum of Art)

住所:長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢1570-4

営業時間:10:00A.M.~5:00P.M. (入館は4:30P.M.まで)
7/15~9/15は10:00A.M.~6:00P.M. (入館は5:30P.M.まで)

定休日:冬季休館(11月中旬~翌年5月)※詳細は美術館のWebサイトをご確認ください。

TEL:0267-42-2639

アクセス:
軽井沢駅(JR北陸新幹線・しなの鉄道)から徒歩約15分
上信越自動車道「碓氷軽井沢I.C.」から車で約25分

人生と美意識が詰まった宝箱
黒柳徹子ミュージアム

黒柳徹子ミュージアム_外観

黒柳徹子ミュージアムは、黒柳徹子さんの人生と美意識が詰まった宝箱のような空間です。個性的な建物として建設された黒柳徹子ミュージアムの館内に足を踏み入れると、まるで黒柳徹子さんの人生を旅するような展示が広がっていました。

アナウンサー、女優、オペラ歌手、司会者、ユニセフ親善大使として幅広く活躍されてきた黒柳徹子さんが、長年にわたり収集してきた約2,000点に及ぶコレクションが一堂に展示されています。アンティークの骨董品や繊細なガラス細工、舞台やテレビで実際に着用された華やかな衣装や着物など、その多彩な品々は、個人の所有とは思えないほど見応えがあります。

黒柳徹子ミュージアム_展示

黒柳徹子さんは、「自分の名前のついたミュージアムができて、こんなにうれしいことはない」と話されています。黒柳徹子さんの感性が宿る品々ばかりで、見ている者の心に驚きとワクワクが伝わってきます。


おすすめPOINT!

設計を手がけたのは建築家・内藤廣氏です。『ちひろ美術館』、『鳥羽市立海の博物館』、『牧野富太郎記念館』などを手がけたことで知られ、木造建築の美しさと温もりを大切にする設計者です。黒柳徹子ミュージアムの建物も、彼の設計哲学が随所に息づいています。

黒柳徹子ミュージアム_外観

建物はユニークで親しみやすく、黒柳さんの象徴的な「玉ねぎ頭」を思わせる形状など、彼女らしさが随所に感じられるデザインとなっています。「庶民の暮らしに息づいていた文化を建物の基本にしたい」という内藤氏の想いが込められ、黒柳さんの「テレビを通して庶民とともに歩んできた人生」が、建築そのものに反映されています。

展示空間は回遊式で、歩くたびに新しい発見があるのも魅力のひとつです。エントランスから始まり、中央展示エリア、衣装ギャラリー、工芸品コーナー、肖像画エリアなど、黒柳さんの人生と美意識を多角的に体感できる構成となっています。

さらに詳しく!

黒柳徹子さんといえば、美しく、華やかなドレスや着物など、衣装の素晴らしさです。実際に着用した、きらびやかで美しい衣装を、目の前で見る体験に感動します。また、ユニセフ親善大使の活動などを通じて、世界の旅先で見つけた骨董やガラス細工など、それぞれにエピソードが添えられていて、彼女の感性と記憶が丁寧に紡がれています。

黒柳徹子ミュージアム_展示

館内では、黒柳さんが半世紀以上にわたり集めてきたドレス、バッグ、着物、ガラス工芸品、漆器、ビーズ細工などが展示されており、定期的に展示替えを行っているため、訪れるたびに新たな魅力に出会えます。何度でも足を運びたくなる、そんな美術館です。

館内に映し出される映像に流れる黒柳さんの言葉、「美しいものに触れ、驚いたり、癒されたり、笑顔になったりできるのも、平和な時代だからこそ。」は、ミュージアムの根底にある思いを象徴しています。美しいものを次世代へ伝えたい——その願いが空間全体に込められ、訪れる人々の心に静かで豊かな感動を届けてくれます。

軽井沢の自然とともに、徹子さんの人生に触れる贅沢な時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。

黒柳徹子ミュージアム_外観
黒柳徹子ミュージアム(Kuroyanagi Tetsuko Museum)

住所:長野県北佐久郡軽井沢町長倉574

営業時間:9:30A.M.~5:00P.M. (入館は4:30P.M.まで)

定休日:火曜日(祝日の場合は開館し翌平日は振替休日)、展示替え期間、年末年始

アクセス:
軽井沢駅(JR北陸新幹線・しなの鉄道)から車で約10分
中軽井沢駅(しなの鉄道)から車で約5分
上信越自動車道「碓氷軽井沢I.C.」から約20分
軽井沢駅(JR北陸新幹線・しなの鉄道)から、西武バス「風越公園行き」約12分、バス停「黒栁徹子ミュージアム」下車
駐車場あり(50台)。駐車台数に限りがあるため、予約サイトにて事前にチケットをご購入されている方が優先となります。


室生犀星が愛した旧居
室生犀星記念館

室生犀星記念館_外観

旧軽井沢銀座通りから少し奥へ入った静かな路地に、苔むした庭に囲まれた木造の一軒家が佇んでいます。それが『室生犀星記念館(むろうさいせい きねんかん)』です。

室生犀星記念館_展示
室生犀星記念館_庭

詩人、小説家として知られる室生犀星が、特に愛したのが、軽井沢の旧居といわれています。庭に足を踏み入れると、木の香りと静寂に包まれ、まるで彼の詩の世界に入り込んだような感覚になります。

館内には犀星や家族の愛用品、写真などが展示されており、彼の文学的な感性に触れることができます。印象的なのは、庭について書かれた短歌です。彼がこの地をどれほど愛していたのかが、言葉の端々から伝わってきます。娘さんと一緒に過ごした夏の日々、縁側で読書をしたり、庭の苔を眺めたりしたエピソードなども展示から伝わり、彼の穏やかな暮らしぶりが目に浮かびました。

軽井沢の自然と文学が見事に調和した空間で、心が静かに整っていくのを感じます。記念館は静かで落ち着いた雰囲気で、訪れる人も皆、言葉少なに苔庭や展示を眺めている様子が印象的です。


おすすめPOINT!

室生犀星記念館の魅力は、室生犀星が実際に暮らした空間をそのまま保存していることです。木造平屋の建物は、上品な佇まいで、彼の美意識が随所に感じられます。昭和6年(1931年)に建てられたこの家は、華美な装飾を排した簡素な造りながら、品格と落ち着きを感じさせる和風建築です。縁側や障子、畳の間など、日本家屋の伝統的な要素が随所に残されています。

室生犀星記念館_展示

犀星は、軽井沢で苔庭に最適な場所で別荘を持ちたいと探していましたが、定宿だった軽井沢の老舗旅館「つるや」のご主人と一緒に歩いて、この場所を見つけたというエピソードも残っています。

犀星はこの家で多くの文化人と交流し、詩や文学について語り合ったそうです。堀辰雄、立原道造、萩原朔太郎、志賀直哉、川端康成など、同時代の文人たちが訪れた文学的サロンでもありました。縁側で語り合ったというエピソードも残っており、建物自体が文化交流の舞台でした。文学と自然を愛する人にとって、まさに理想の空間です。

さらに詳しく!

庭には見事な苔が広がり、四季折々の表情を見せてくれます。この素晴らしい苔の庭は、今は軽井沢町が丁寧に管理しており、訪れるたびに美しい緑が迎えてくれます。

室生犀星記念館_展示

室生犀星記念館の内藤憲司さんにお聴きすると、
「室生犀星はこの家に住みながら、何度も増改築を重ねてきたそうです。畳は小ぶりな団地サイズで、廃材を活用して古めかしさを演出するなど、細部にまでこだわりが詰まっています。一方で、娘さんの希望に応じて、増築した1畳にガラスの引き戸を入れて部屋を明るくするなど、家族の声にも耳を傾ける、優しい父親でもあったといいます。

犀星が自ら設計した苔庭は、まさに見事な眺めです。特に縁側の端は彼のお気に入りの場所で、そこから庭を眺めるのが日課だったそうです。苔庭の管理は、雑草取りや朝夕の水やりなど手間がかかりますが、それだけに大切に守られてきた“宝物”のような存在です。

訪れた際には、ぜひゆったりとした気持ちで、この静謐な庭を味わっていただければと思います。」とのこと。

文化人の友人たちがこの家を訪れ、縁側や離れで語り合うなど、文学の交流の場としても重要な役割を果たしていました。軽井沢の自然と文学が融合した室生犀星記念館で、知的で感性豊かな旅を味わってみてはいかがでしょうか。

室生犀星記念館_外観
室生犀星記念館(むろうさいせいきねんかん)

住所:長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢979-3

営業時間:9:00A.M.~5:00P.M. (入館は4:30P.M.まで)

定休日:冬季休館(例年11月上旬~翌年4月下旬)

TEL:生涯学習課 0267-45-8695

アクセス:
軽井沢駅(JR北陸新幹線・しなの鉄道)から車で約5分、軽井沢駅から町内循環バス
「東・南回り線」に乗車「旧軽井沢」下車徒歩約5分
上信越自動車道「碓氷軽井沢I.C.」から約25分
※専用駐車場はございません。近隣のコインパーキングをご利用ください。

昭和100年という節目に——
これまでの感謝と、これからの願いを込めて

昭和100年という節目に これまでの感謝と、これからの願いを込めて

昭和100年という節目に、新たな歴史を刻む一頁を。
西武プリンスホテルズ&リゾーツは、百年を超える伝統とともに、
全国各地で培ってきた「食」と「おもてなし」の精神を大切にしてまいりました。
軽井沢エリアにおきましても、「昭和100年記念メニュー」をご用意しております。
大切なひとときを、上質な味わいとともにお過ごしください。