Episode 00 バロンと呼ばれた男
大倉財閥の創業者である大倉喜八郎の息子で二代目総帥となる大倉喜七郎は、 1882年 (明治15年) に東京赤坂区 (現東京都港区虎ノ門) に生まれました。
慶応大学卒業後、 イギリスのケンブリッジ大学へと留学し、 そこで自動車の操縦や修理技術まで習得し、 ブルックランズ・サーキットで初開催されたカーレース 「モンターギュ・カップ・レース」 において、 イタリア製フィアットのレーシングカーを操縦して2位入賞という実績を残します。
同年、 おみやげとして自動車5台とともに日本に帰国し、 そのうちの自動車1台 (メルセデス)を皇族の有栖川宮さまに献上するため、1909年 (明治42年)福島県の猪苗代湖畔にある有栖川宮別邸を訪ねる自動車旅をしました。そこで有栖川宮威仁親王、 伊藤博文公、 朝鮮王朝の李王垠殿下を乗せ、 自らの運転で試乗会も実施しています。 ※この時の写真は川奈ホテルの本館2階ライブラリーに飾られています。
その後、 父喜八郎の事業を引き継ぎ財閥の発展につとめ、 戦後の公職追放、 財閥解体などの難局に直面しながらも、 帝国ホテル会長、 川奈ホテル、 赤倉観光ホテル、 ホテルオークラを建設し日本ホテル協会会長に就任するなど、 日本のホテル業に大きな軌跡を残しました。
気さくで気前がよく、 派手好みなハイカラ男爵だったため、 周囲からは 「バロン・オークラ」 と呼ばれて親しまれていました。 日本屈指の趣味人とも言われ、 囲碁、 音楽、 文学、 絵画、 舞踊、 スポーツ、 など多くの文化の発展に寄与しました。 囲碁では、 日本棋院会館の設立に尽力、 名誉総裁に就任しています。
現在、 大倉喜七郎賞があります。 音楽では、 オペラ、 長唄、 義太夫など多くの分野に精通し、 楽器では、 尺八とフルートを合体させてオークラウロという楽器を作っています。 他にも帝国ホテルを本拠とするオーケストラ 「東京シンフォニー管弦楽団」 を結成。 オペラ歌手・藤原義江の支援、 バレエ団 「川奈楽劇団」 の結成など、 日本における西洋音楽や舞踊の普及活動に尽力しました。
文学では川端康成、 島崎藤村らをポケットマネーで支援し、 美術では、 絵画、 特に現代日本絵画にはパトロンとして多くの芸術家を育て、 横山大観など有名な芸術家を支援していました。 その収集した作品は、 ホテルオークラ横にある大倉集古館に現在展示されています。 スポーツ部門では札幌の大倉山ジャンプ台を建設し、 札幌オリンピックの会場にもなっており、 今でも世界大会で使用されるなど歴史あるジャンプ台となっています。
稀代の趣味人とも言われた大倉喜七郎だったからこそ、 川奈ホテルも含めて、 歴史や文化の中で今でも語り継がれるような伝説を残せたと言えるでしょう。