バロンの夢
川奈の美しい風景。それは創設者 大倉喜七郎がこの地を選んだ最大の理由です。
伊東で静養していた大倉は、馬でこの地を訪れこの風景が大いに気に入り早々に土地を買い付けました。当初、大倉はこの地を夢であったイギリスの城と牧草地として建設する予定でしたが、火山灰質という土壌の問題から牧草の育成に適さず、スコットランドのリンクスコースをイメージしゴルフ場建設へと計画を変更。そして、1928年(昭和3年)に大島コースが開場し、国の方針により世界に誇れるリゾートホテル建設が急務になっていたこともあり、時を経てホテルも建設されました。
川奈ホテルゴルフコースは、富士山と大島が見え相模湾を一望できる風光明媚な高台にあります。当時は未開発の土地で植樹も畑にもできず、使い道のない火山灰質の土地を大倉は破格の値段で購入したことから、地元の人たちは広大な不毛の地を購入した大倉を理解できませんでしたが、土地が売れ大金が舞い込んだことを大変喜んだそうです。
現在、川奈ホテルゴルフコースの天気の良い日の風景は、富士山から丹沢連峰、大山、湘南地区、三浦半島、相模湾、房総半島、大島、伊豆七島(利島・新島)が一望でき、建築物では、横浜ランドマークタワー、約100km離れた東京スカイツリーも望めます。相模湾を一望できる唯一無二の風景です。
東京から2時間、リンクスコースで富士山から伊豆七島まで望めるコースは、アメリカのぺブルビーチに匹敵すると言われる最高の立地条件であり、四季折々に日本特有の花々が咲きリゾートホテルとしても最高の条件を持つこの土地を選んだ、大倉の先見の明には驚くばかりです。
川奈ホテルゴルフコースは、ホテルの付帯施設でありカントリークラブではありません。テニスコートやプール同様に宿泊していただいたお客さまにご利用いただくために造られた施設です。開業当時からその理念は変わらず、今でもホテルスタッフにより大切に紡がれています。
富士コース
富士コースは、1936年(昭和11年)に川奈ホテルの開業と同時にオープンしました。
コース設計は世界的なコース設計家であるイギリス人 C.H.アリソン。当初は日本人設計家の赤星六郎氏によりコースは半ば完成し、一部のコースではプレーもされていました。そんな折、別のコースの設計で来日していたアリソンにコース設計のアドバイスを依頼し、最終的には全面変更となり富士コースが完成しました。
アリソンが設計したコースの特徴は、“アリソンバンカー”と呼ばれている深く手ごわいバンカーにあり、プレーヤーには高度なコースマネジメントが要求されます。また、スコットランドと同じ海岸に面したリンクスコースであり、高麗芝特有のグリーン、自然の起伏を活かした地形、海からの風により日本でも有数の難コースといわれるようになりました。
開場から間もなく戦争が激化し、戦時中は日本軍、戦後は進駐軍に接収され一般営業はできませんでしたが、ゴルフ場は保養施設として利用されていました。接収が解除された後、11番ホールに川奈埼灯台が建造され長年海上航路の案内をしてきました。建造するにあたり、ゴルフコースへの配慮として、ゴルフティーをデザインして造られました。11番ホールの次にあるエキストラホール(通称 大倉ホール)のグリーンは幕末の時代、黒船来襲に備えて造られた砲台跡地にグリーンを造ったホールです。まさに砲台グリーンです。
富士コースは、アリソンが設計した当時のコンディションを残すために現在でも厳しく管理され、毎年行われるプロトーナメントの舞台となり、米国ゴルフマガジン誌の世界のゴルフ場100選にも毎回選定されるなど、ゴルファーなら誰もが憧れるゴルフコースです。
- 深く手ごわいアリソンバンカー
- ゴルフティーがモチーフの川奈埼灯台(11番ホール)
- 黒船来襲に備えて造られた砲台跡地にあるエキストラホール
- トーナメントでジャンボ尾崎プロが3連続O.B.を打ったという15番ホール
COURSE DATA
18Holes / Par72
BACK TEE :6,701Yard / REGULAR TEE:6,242Yard
キャディー付き / 徒歩プレー
大島コース
大島コースは1928年(昭和3年)に開場し、日本のゴルフ場では23番目に古いゴルフ場で現存しているゴルフ場では、12番目に古いゴルフ場になります。大島コースを設計したのは、「日本のゴルフの父」と称される著名なコース設計家 大谷光明です。昭和初期に重機はなく、伊東から土を船で運搬し溶岩の上に砂を盛り、手作業にてコースは造成されました。
大島コースの特徴は、自然をそのまま使用したコースレイアウトと各ホールそれぞれに付けられたニックネーム。これは当時の川奈ホテル社長が懇親のあった方々と相談して決めたといわれています。そのメンバーは設計者の大谷光明をはじめ、第52・53・54代内閣総理大臣になる鳩山一郎や当時の国会議員など多くの著名人により命名されました。
その後、第二次世界大戦へと移行し、川奈ホテルゴルフコースは日本軍に接収され、戦時中の食糧難によりコースの一部が畑に利用された時期もありました。戦後、川奈ホテルが進駐軍に接収され、大島コースは進駐軍の保養施設として使用されていました。
プロトーナメントの開催や世界ゴルフ場100選に選ばれている富士コースに隠れがちですが、大島コースも負けず劣らずの素晴らしいコースです。現在は、GPSナビゲーション搭載のカートも導入されフェアウェーへの乗り入れができるカジュアルなスタイルとなっています。
大島、富士の2つのコースでのプレーと川奈ホテルへの宿泊で1泊2ラウンドをすることが最高の贅沢であり、それが川奈スタイルです。
- 「海岸通り」と名付けられた海岸沿いの3番ホール
- ミスをするとボールは太平洋に「グッドバイ」 4番ホール
- つり橋のかかる深い谷越えの名物ホール「S.O.S.」 6番ホール
- フェアウェーへの乗り入れが可能なGPSナビ付きゴルフカー
COURSE DATA
18Holes / Par70
BACK TEE :5,711Yard / REGULAR TEE:4,676Yard
GPSナビ付きゴルフカー(フェアウェー乗り入れ可能)
セルフプレー