歴史

人々がここで出逢い慶びを語り合える幾歳月、満ち足りた時のうつろいに想いを馳せる。


昭和4年、三菱財閥創始者別邸
三養荘は昭和4年、旧三菱財閥の創始者岩崎弥太郎氏の長男久彌氏の別邸として、 京都の庭師小川治兵衛の手による壮大な日本庭園の中に、瀟洒な数寄屋造りの和風建築邸として建設されました。
岩崎家の家訓「三養訓」を由来とする名称
「三養荘」とは、岩崎家の家訓とされていた蘇東坡(そとうば)の「三養訓」に由来するもので、岩崎家の別邸当時から呼ばれていた名称をそのまま継承しています。昭和22年、旅館「三養荘」として15棟にて営業を始め、昭和25年には、広間「もくせい」を増築し、明治時代の東京市長(現在の東京都知事)を務めた後藤新平氏の田舎屋「狩野川」を移築して「バー」にしました。
昭和63年、建築家 村野藤吾氏設計の新館 オープン
さらに昭和32年には、本館「みゆき」、昭和42年には離れ「高砂」、「花月」、「きぬた」をそれぞれ増築しています。昭和63年、文化勲章受章者で建築家村野藤吾氏の設計による新館がオープン。平成5年に新館最後の建物が完成し現在に至っています。新館は、村野藤吾氏が90才を過ぎてからの作品であり、自然の地形を生かした造りが特徴で、そのためか平屋であるにもかかわらず階段があり、離れ形式を基本に廊下でつなぐなどの豊かな意匠を備えています。
「真っ赤に燃える紅葉」
随所に小瀧や流水を配して「やすらぎ」を醸成。特に玄関からの廊下は距離が長いため、直線ではなく変化を持たせることで距離を感じさせない配慮をしています。この廊下の途中には急に視界が開ける部分があり、特に秋の「真っ赤に燃える紅葉」は一見の価値があります。
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