70年以上も前、浜名湖に誕生した高級ホテル
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今をさかのぼること70年以上も前、昭和13年(1938年)のこと、飛島組(現在の飛島建設)の先代社長であった飛島繁氏が、
静岡県の浜名湖にある景勝地・弁天島に画期的なホテルを開業しました。 「浜名湖ホテル」と命名されたこのホテルは、浜名湖の開発に携わった飛島氏が、自身の趣味趣向を存分に取り入れ、 贅を尽くしたもので、当時わが国屈指の高級ホテルとして評判になりました。 外観は宇治の平等院をモデルにし、規模はその約2.7倍の大きさで設計され、着工から2年の歳月を経ての竣工となりました。 材料はすべてに最高級のものが厳選され、木材もケヤキやヒノキなどがふんだんに使われています。 建物外観は純和風でありながら、客室はすべてベッドを備えた洋室、食事はフランス料理という先進的なスタイルでした。 その時代の交通手段は東海道本線のみでしたから、列車で訪れたお客さまは弁天島駅で降り、 そこからホテルまでの送迎には典雅な馬車が使われていました。ホテルには常時、馬車が2台と馬が3頭用意されていて、 そうした送迎も話題となり、皇族をはじめ、当時の多くの著名人がこのホテルを利用したと言われています。 |
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しかしこのホテルは、ある意味で先進的過ぎ、かつあまりにも高級指向であったことや、
戦争の足音が聞こえる時代背景のせいもあって、経営に関してはあまりうまくはいかなかったようです。
創業からわずか1年半後の昭和14年10月、「浜名湖ホテル」は休業の蔓き目を見ることとなってしまいました。 やがて戦時中は県や軍部の所属施設となり、終戦後は浜名湖の畔に廃屋としてひっそりとたたずんでいました。 |
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そうした折、浜名湖畔から芦ノ湖畔への移築が決まりました。 ここから「浜名湖ホテル」は、箱根プリンスホテル和風別館「龍宮殿」という新たな歴史を歩み始めることとなったのです。
浜名湖畔から芦ノ湖へ ただし、豪壮なたたずまいから容易に推察できる通り、まずは解体作業がたいへん多難だったようです。 地元はもとより、東京からも専門業者が足を運び、作業はおよそ5ヵ月を費やしました。 当時はまだ陸上輸送が未発達だったため、解体された資材の大半は東海道本線の貨車を使用して熱海駅まで運搬されました。 熱海から箱根までは険しい十国峠越えの道を利用したのですが、 今のような舗装路ではなかったため、運搬は難行を極めたと言われています。 やっと芦ノ湖畔に到着した後も、解体材の仕分作業に約半年間、その後の復元作業にも多くの人手と時間を必要としました。 京都から宮大工を招き、各地から呼び寄せた多くの技術者が工事に携わり、移築作業には結局1年以上が費やされました。 |
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そして昭和32年、「龍宮殿」が開業し、ここに新たな歴史が始まりました。
龍宮殿の外観や間取り自体は浜名湖ホテル当時のままでしたが、移築時に玄関の位置が変更され、
従来玄関だったところは現在湖畔を向いています。また洋間だった客室はすべて畳敷きとなり、純和風に生まれ変わりました。
龍宮殿のオープンはまたたくまに各方面の話題となり、当時の外務省は、この美しい日本の風情を楽しんでいただこうと、
インドのネール首相や西ドイツのアデナウアー首相を龍宮殿に招いたこともありました。 この箱根の豊かな自然に包まれた純和風のたたずまいは、各国の要人にも、きっとお気にめしていただけたことでしょう。 |
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箱根で第二の歩みを始めた龍宮殿も、時を経て、純日本建築の宿命ともいえる建物の老朽化への対策を図る必要が生じました。
また、さらなる施設の充実化を進めるために、昭和49年から昭和51年にかけて大規模な改修工事を行いました。
改修工事は、屋根の鋼板の葺き替えや内部の補強を行ない、外観は竣工当時そのままの雰囲気を伝えながら、
より質の高い純和風旅館として生まれ変わりました。 改修以降も歴代の首相をはじめ、各界を代表する著名人など多くのみなさまが足を運んでくださり、 この龍宮殿にてゆったりと箱根の一夜を過ごされています。 さらに時を経て平成2年、歴史ある「龍宮殿」に隣接して新たに新館が誕生しました。 客室に温泉を引いた特別室や、ゆとりある広縁のある客室など全24室。 いずれの客室からも秀麗な富士山と芦ノ湖を眺めることができ、 刻々と変化する箱根の自然の美しさを満喫することができます。 |