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WORLD CUP
苗場スキー場の歴史は日本のワールドカップの歴史。

当時のパンフレットより

1973年のワールドカップには、あのジャンクロード・キリーがやってきた。

1973年、日本で初めてとなるFISアルペンスキーワールドカップ大会が苗場スキー場で開催されました。大会にはグルノーブルオリンピックで3冠を達成したフランスのジャンクロード・キリーやイタリアのグスタボ・トエ二が参加し、前年の札幌オリンピックとともに日本のスキーブームのきっかけとなりました。

当時のパンフレットより

1975年のワールドカップをきっかけに国内の競技スキーも盛んになりました。

1973年の大会でワールドカップポイントを獲得した柏木正義に続き、この大会でも海和俊宏が回転競技で13位に入り、大いに盛りあがりました。これをきっかけに世界を目指す日本人選手が増え、さらに国内の競技スキーに対する関心が高まってきたました。そこで、苗場スキー場では大会をセットにし、宿泊や運営の備品提供なども行い、国内大会を牽引して行きました。

41年ぶりにワールドカップが苗場スキー場で開催。

国内では10年ぶり、湯沢町では41年ぶりのFISアルペンスキーワールドカップが苗場スキー場で開催されました。大回転を制したのはフランスのアレクシ・パンチェロー、そして回転を制したのはフェリックス・ノイロイター。世界のトップレーサーを一目見ようと連日全国から集まった大観衆の中には41年前の大会を見たという人も。その数はアルペンの聖地と呼ばれているオーストリアのキッツビューエル、スイスのウェンゲン、フランスのバルディゼールなどと変わらぬギャラリー数となり、大成功のうちに幕を閉じました。

プロスキーヤー 皆川 賢太郎さん(実行委員会 副委員長)とワールドカップ。

3才から毎日のように苗場でスキーをしていた私の中のDNAが、アルペンレーサーを目指すべきなんだという思いがあり、自然とアルペンレーサーになっていました。苗場で育たなかったらアルペンレーサーを目指すことはなかったと思います。苗場スキー場は世界に通用するコースを持っており、立地条件が良く、特にレース会場より苗場プリンスホテルが近いので、何をするにも便利で、ホテルのサービスもとても良く選手および大会関係者に非常に喜んでいただけました。メインコースを止めるということで、一般のお客さまと選手にも迷惑がかからないように配慮し、おかげさまで、選手とスキー場とお客さますべてが一体となった大会になりました。

ワールドカップ大会開催の裏話

暖冬小雪の影響でコースづくりも進まず、水まきの連続。ようやくできたかと思えば、大雪に見舞われ豪雪待機。ところがそんな待機中に、フランスとドイツの選手が日本のパウダーを楽しんでいた姿がとても印象深く残っています。日本のパウダーは海外で「JAPOW」と呼ばれ、人気が高いんだそうです。最後まで厳しい状況でしたが無事に開催できました。